エピソード8

私はフルタイムの保育士として10年程務めておりました。現在は、2人の子どもの子育てのため、パート保育士として働いています。
保育士として保育園で働くにあたって、辛かったことと言えば、自然災害が起こった時、また起こると予想される時です。保育園は、保育に欠ける児童を預かる福祉施設であるため、余程のことがない限り、開園します。2018年の大阪で起こった地震や西日本豪雨が記憶に新しいと思います。その時も保育園は開園しました。地震の時も、豪雨の時も、交通網が麻痺し、電車が動かず、多くの職員が出勤できない中、わが子を別の保育園に預け(いつも通っているところです。そこでも職員の一部が出勤できず少ない人数での保育でした。)、勤務時間よりだいぶ前に電動自転車で職場に向かいました。念の為、2リットルの水を数本買っていきました。保育士として、預かる子どもたちの安全を確保するための判断でした。
さて、職場についてみると、驚くことに、子どもたちがいつものように来ていました。中にはお母様が育児休暇中のお子さんもいました。職員が少なく、地震の日には余震の恐れが、豪雨の日には洪水や土砂災害の恐れがある中の保育はとても不安でした。地震の日は、お昼までにお迎えをお願いさせてもらいました。子どもの命を預かる仕事の重みと簡単に預ける保護者への疑問をひしひしと感じる出来事でした。
子育てをする立場で、どのような状況下でもわが子を置いて出勤することを選んでしまう自分に大きな葛藤を覚えました。
保育士は子どもが好きです。そして、子どもたちの未来のために今自分に出来ることは何かと常に模索し、職員同士で話し合い、切磋琢磨しながら働いています。しかしながら、待遇は上がらず、人が集まりません。現場では人手が無くて、やりたい遊びも十分にできないこともあります。夕方遅くまで残る多くの子どもたちを2人の職員で見ることも普通になっています。とにかく手が欲しい。そして、災害時には自分の命を危険に晒してまで出勤し、子どもたちを守ることが使命のようになっています。その現実がとても辛かったです。

エピソード7

保育の免許を20歳で取得してから25年間保育士として保育園で働いてきました。
子供が大好きで音楽が大好きで自分にとって転職のように感じてこの職業につきました。
もちろんやりがいのあるとても素敵な職業で、自分もやっていて良かったという思うことは何度もありましたが実はそれ以上に辛いことが多かったのも事実です。

一番大変なのは自分にかかってくる責任が重すぎる…という点です。大事な子供さんを預かる訳ですから、お預かりした時と同じ状態で保護者にお返しする!という事が大前提です。擦り傷一つあっても保護者の中には目くじらをたてる方もおられました。何十人もの子供たちをたった一人で保育しなくてはいけません。当然目が行き届かないこともありケガや子供同士のトラブルなど予期せぬ出来事が起こります。
それを保護者に謝り説明して理解してもらう。時には理解してもらえずこじれた事も一度や二度ではありません。未満児クラスでは噛みつきなど問題もありました。
アレルギーのある子への配慮もしなくてはいけません。
命に関わることです。子供たちを養護して守ることの大変さは保育士にとても大変なことです。家に帰ってからも
「〇〇ちゃんそう言えば頭打ったな。お母さんに言ってなかったな」と思い出します。大事になってないといいけど…と思い始めると寝られないこともありました。

保護者の対応も大変です。
信頼関係を築くまで粘り強く声をかけていく!話し合う!を繰り返していかなくてはなりません。一度不信感を持たれると中々信頼は回復しないので保護者の性格などを把握することも大事なことでした。今の時代は子育ても新しい時代です。それを認めながら子供のことを考えて行けるようにする。子供だけでなく保護者にも配慮がいりました。

保育士などの対人間の仕事は自分が幸せでなければできない仕事だと私は思っています。それだけ人に影響を与える仕事だという事です。

エピソード6

保育士・幼稚園教諭の仕事で辛かった出来事

私は、公立幼稚園教諭を1年、私立保育園の保育士を2年経験しました。その中で、仕事に関して辛かったことは、幼稚園も保育園も持ち帰りの仕事があるということです。勤務時間外でも、プライベートの時間を削って、連絡帳を書いたり、日案を書いたり、壁面を作ったり…その仕事量は言葉では言い表せません。仕事が終わって帰宅しても、家ではご飯、入浴、睡眠しかできません。その他は仕事、仕事…といった日常がとにかく辛かったです。締め切りをもうけられている仕事も結構あったので、とにかく期限までにやり遂げないといけないプレッシャーもありました。
次に辛かったことは、体調不良でも出勤をしないといけないことです。現場では、職員不足が続いており、体調不良などの突然の休みが許されませんでした。有給をとっていいはずなのに、上司からダメと言われることもあり、言葉のパワハラもいくつかありました。いつでも子どもたちは元気なので、どんなに自分の体調が悪くても一緒に鬼ごっこをしたり、抱っこをしたりと体に負担がかかることがつらかったです。
次に、教材を作るときにどうしても自費で対応しないといけないことがつらかったです。先生は、子どもたちのために「これがあったらいいな」という物などを日頃の保育の中で考えて、環境を見直していくことが大事です。そのときに、必要なものを手作りしたり、購入したりしなければなりませんでした。その費用がどうしても自費で補わないといけないことがつらかったです。公立では、幼稚園の費用で補ってくれることもありましたが、すべてではありませんでした。
最後に、子育て経験のない私が、保育のプロとして保護者の相談に乗るということにとても苦労しました。子育て経験がなくても、保護者からは頼れる存在でありたいので、できるだけ相談に乗るようにしました。しかし、わからないこともたくさんあり、そのたびに上司に聞いたり、自分で調べたりすることが大変でした。

エピソード5

私は0歳児の担任で、主任一人、パート一人の計三人で複数担任として配属していました。0歳児は子ども三人につき保育士一人という決まりがありますが、私のクラスはすでに10人。なぜなら保育士の子どもを国の承諾を得ずに預かっていたからです。なのでその時点で一人はみ出てしまっていたわけです。しかし問題はもっと他にもありました。主任先生が担任に配属されていますが、実際は部屋の机で自分の仕事をする時間がほぼでした。つまりパートの先生と私の二人で0歳児を10人見ていたわけです。保育園には監査というものが定期的にありますが、そのときだけは保育士の子どもはお休みをしてもらい、ネームシールは全て隠すかのようにはずし、主任先生は常にフル稼働しているかのように見せていました。おかげで一年目だった私は、何をするにも精一杯だった上に見る子どもの人数の上限を大幅に超え激務をしいられることになるのでした。さらに途中入所してきた子がなんと四ヶ月になったばかりで、一人つきっきりになるくらいだったものですから10人を一人で見るなんて日も少なくなかったわけです。そのときは無理だなんて言っていられなかったし、新人の分際で意見も言えなかったです。子どもを見るということは当然書き物も付いてきます。連絡帳に毎日の記録、月案(0歳児は個別に月案がありました)ほぼ全て私の仕事です。その上なぜか寝かしつけをする際に必ず添い寝をする決まりがあり、子どもが寝た後も主任の決めた掟である時間まで寝転がっていなければいけなかったのです。その時間が終わるとトイレ掃除や、なぜか職員のおやつ準備などもあり昼寝の時間は休憩なんてあるわけもありませんでした。0歳児は寝付きが悪い子もいれば、すぐ起きてしまう子など。寝付きが遅い子を寝かしつけ終わると、ぐっすり寝れない子が起きてくるなんてこともあり時間があってもあっても足りませんでした。なのに横の1歳児のクラスの先生は余裕があるのかなんなのか、同士の笑い声や話し声が大きく、起こされてしまう始末。当然書き物は溜まる一方でした。国が決めていることにはきちんと従ってほしいですね。そして誤魔化すのならやらないべきだと言える勇気があればよかったのかなと今でもモヤモヤします。

エピソード4

私が務めていた保育園では園長や主任先生の意見が絶対でした。なので例えばある子どもが泣いているのが何故だかわからないとき、園長が「〇〇ちゃんはお腹が空いてないている」というと他の職員は「そうですよね」と同意します。それが基礎の保育士間の関係図です。誰も自分の意見を述べないのです。私自身は子どもと関わる上で狙いを持ってしっかりとしたいタイプでしたが、園長はそうではありませんでした。ただ預かっていればそれで良いから散歩で園外に行くこと、保育の質を上げることなどはどうでも良かったのです。さらにおもちゃが入っている箱は危ない、本棚は危ない、と禁止が多く、、。おもちゃは床にばら撒いて子どもたちはそれを蹴り飛ばしたり取り合いながら必死に自分の遊ぶおもちゃを確保するという日課でした。本棚がないのに絵本がある部屋は本当に残酷で、床に散らばった絵本をスケート靴のように足の下に敷きボロボロになるまで遊んでいる子どもを保育士はしらんぷり。誰一人その行為や何故そうなるのかを追求せず、破れた絵本をセロハンで直す作業だけ行っていました。さらにもっとひどいのが、全てのクラスにテレビが設置されており遊びの間つけっぱなしなのです。私はその光景に失望しました。信じられませんでした。テレビを見ながらおもちゃを確保しようと必死になりながらの子どもたちは、取り合うことしか頭になく喧嘩が頻繁でした。少し遊びが盛り上がると保育士が一言「テレビの音が聞こえないから静かに遊んで」本当に悲しいことです。本棚を買ってもらえないなら作ろうと私が担任をしていた教室に、牛乳パックとダンボールを使い手作りの本棚を設置しました。すると、それを見た他の保育士がまた危ないからといって本棚を反対にしてしまい私の努力は水の泡でした。自身の気持ちと真逆の方針の保育園で働くことがこんなにも辛いことだなんて思いもしなかった私は、毎日孤独と戦いながら帰宅して辛くて泣いてまた次の日頑張るという日々を送っていました。しかしそんな毎日には耐えられなくなり退職せざる終えなかったのです。保育園選びは大切です。みなさんには慎重に焦らずにじっくりと考えてほしいなと思います。

エピソード3

幼稚園教諭の仕事で辛かった出来事は、やはりまずは、仕事量です。常に仕事に追われる毎日です。休みの日でもあれを終わらせなきゃ!と常に追われている感覚でした。
参観日前になると、その指導案、保育の準備、部屋の大掃除、懇談内容を考えるなどいつもの仕事にプラスして
たくさんの仕事がのしかかり帰宅が23時になることもありました。帰宅しても仕事をするため
なかなかちゃんと寝れない日もあり体調管理も大変でした。
又、お遊戯会の前になるとその小道具や衣装作りもしなければなりません。慣れないミシンを夜中まで頑張っても先輩からの指導で改善をするように言われたり、小道具を手直ししたりと終わりの見えない毎日でした。
1年の終わりには、要録の記入追われ、年長担任になると小学校に提出する書類にも追われ春休みはバタバタ。やっと終わって一息、、、とはならずまた次のクラスの準備が始まり終わりのない感覚でした。
他には保護者対応が私は辛いこともありました。
うちの子はバレエをしているのであまり怪我をさせないでくださいと言われたことがあり、戸外遊びは毎日するし、どう保護者を納得してもらうのか対応が難しかったです。
他にも外で遊んでいる時に怪我をした子がいて、ちゃんと見てはいたもののこけてしまうことは仕方ないことなのに、それを攻められたこともあり、そのときはかなり凹みました。
メンタルはかなり鍛えられた気がします。
あとは書き物が多い園だったので、ペンだこはずっとありました。月末には一人一人ノート1ページ以上の1ヶ月の様子を書かなければいけず、大変でした。クラス頼り、学年だより、月案、日案などもありそれが重なった時にはいつも泣きそうでした。
楽しいこと嬉しいこともあるけど、辛いこともあるお仕事です。

エピソード2

保育士・幼稚園教諭で辛かった出来事

保育士になって2年目に年長児の担任になりました。20人の子供たちの担任になり、年長児ということで、園の行事も引っ張っていかなければなりません。最初は私に務まるのかと不安が大きく、この子達の担任を続けていけるのかという思いがありました。顔に傷を追うような喧嘩はしょっちゅう、なかなか言うことをきいてくれずまとまりのないクラスに四苦八苦した一年でした。悩むたびに同僚や上司に相談し、一緒に考えてくれました。身体でぶつかってくしかないと思い、若かったわたしにできる事は外で思いっきり遊んで、子供たちの気持ちを発散させることかなと思いました。毎朝登園してすぐ、外へ出て外で遊びました。鬼ごっこやケイドロなど身体を動かして遊ぶことが大好きな子供たちなので、毎日のように同じことを繰り返し遊んできました。遊ぶ中で、トラブルも、ありましたが、その都度みんなでどうしたらいいか話し合っていく中で少しずつ上手に遊べるようになり、保育士が居なくても遊ぶ姿ごみられるようになっていました。外で思いっきり遊んだあとは中での製作などの活動も集中して取り組む姿が見られるようになりました。秋ころには喧嘩も減り、少しずつおおきくせいちする子供たちの姿がみられるようになぅていました。最初はどうなるかとおもっていたクラスでしたが、周りのひとのおかげでなんとか一年のりきり、立派に卒園させることができました。年数を重ねていなかったので、保育力もない私には辛い一年でしたが、こどもたちと共に成長できたのではないかと思います。保育士のやりがいも感じることができ、この仕事改めて好きだなと感じました。かわいい子供たちと過ごす毎日が今ではとても楽しいです。

エピソード1

保育士をしていた頃の出来事です。1人だけ男性保育士Aくんが入職してきました。 はじめは職員用トイレが男女別になっていなかったり、環境も良くなかったのですが、ずっと保育士になりたかったというA君はめげることなく、明るく働きはじめてくれました。小さいときから子供の世話が好きだったというだけあって、子どもにあまり接したことのない女性の新人さんよりもお世話もずっと手慣れているし、子ども達と遊ぶのも上手でした。とても楽しそうに遊んでくれるし、優しいお兄さん先生として子ども達にもひっぱりだこになりました。背が高いA君が保育園の天井の低いテラスをエプロンをかけて歩いていくと、後ろを鳥のヒナのように子ども達がついて歩いていて、とてもかわいい光景でした。他にも、A君が運動会のダンスで選んだ曲が、年少クラスなのにアップテンポのカッコいい曲で、小さい子には大丈夫かなと思っていたら子どもたちに大受けで、とくに普段集中しにくい男の子達が喜んで練習してくれたり、給食を豪快に盛り付けて食べるのが子どもの食欲をそそったり、多様な年代や性別の先生がいるのは良いことだなあと実感していました。園長も息子のようにA君を頼りにしていて、模様替えや砂場の補修など、なかなか手が回らない力仕事もできて嬉しいと喜んでいました。ところが、一部の先生は、A君が人気があるのが気に入らず、「男性だから何をしても褒められる」と言って良く思っていませんでした。園長がA君に力仕事を頼むときに、普段の業務を他の先生に分担させるのも気に入らないようでした。折しもタイミングが悪く、男性保育士による女児への虐待がしばしばニュースになっている時期でした。A君を気に入らない先生達は、お迎えの時などに保護者にそのニュースの話をしたりして、わざと不安をあおり、保護者会の時に、男性保育士による女児の着替え、オムツ替えは嫌だ、という空気を作り出してしまいました。園長がいくら説明しても、一旦そうなった空気は変えられず、女の子の着替えやオムツ替えができない状態ではクラス担任はできないので、A君は担任が持てなくなってしまいました。A君は、自分が女児を虐待をするかもしれないと思われているということは耐えられない、と言って退職する道を選びました。全くA君に落ち度はないのに、助けるすべもなく、すごく辛くて嫌な出来事でした。